さほど華麗じゃないバイト遍歴

何をもって華麗とするかは議論の分かれるトコロですが。


ファミコンショップホイッスル 下到津店
(平成7年4月上旬→同年9月下旬)

バイト厳禁の高校だったので、生まれて初めてのバイトは浪人時代にした実家の近所のファミコン屋だった。浪人生として平日は予備校に通うかたわら、金・土の深夜(22:00-3:00)の5時間、毎週働いていた。当然土・日の午前中は爆睡なので、週末は全く予備校に行かなかった。時給は850円(推定)。
かなり楽なバイトだった。深夜なんてそうそう客が来るもんじゃないし、店員は2人制な上に皆な自分より先輩なので、難しい仕事(閉店後の会計とか)は全部やってくれた。欲しいソフトは社員割引で安く手に入った。しかもあまり詳しく書かないが、ある裏技を使って格安で中古品を手に入れることができた(今持っているスーファミ本体もこの方法でゲットした)。ちょっとやばいのでこの辺にしておこう。
一番印象に残っているのは夏に半袖のヤ○ザさんがいらっしゃった時の事。半袖の先からは見事な刺青(いれずみ)が見えていた。初めて生で刺青を見たが、なかなかの迫力だった。

家庭教師
(平成8年3月中旬)

Q大合格直後のほっと一息ついた時期に、幼な馴染みの女子高生(2コ下)に1週間ほど家庭教師した。家庭教師といっても大層なものじゃなく、「幼な馴染みのお兄さんがちょっと勉強を見てくれた」程度のもの。自分はもともと人に教わって覚えるタイプじゃないので、教える側になるというのは難しいものだった。まあでも喜んでくれたので良かった。

NHK福岡 博多祇園山笠中継
(平成8年7月14日→15日)

大学入学後、初めてのバイトはこれ。当時住んでいたQ大田島寮で「NHKのバイトやる人いませんか?」という館内放送が流れ、ヒマだしやってみるか、と思い放送室にダッシュした。今思えばこれがその後長く続くマスコミ系バイトの端緒だった。
仕事は山笠のクライマックスである追い山(毎年7月15日の早朝4:59にスタート)を中継する為の準備。14日はケーブルを櫛田神社に張り巡らしたり、モニターやマイクなどの機材を中継車から現場に運んだり、の肉体労働。NHKで借り切った中洲の旅館にスタッフと一緒に泊り、15日は朝3時に起きて櫛田に行き、太鼓台の真後ろの櫓の5カメに付いて、ケーブルがカメラマンの足に絡まないようにたぐる役目をした。太鼓台の後ろなんてどんなに大金積んでも絶対上がれない所なのに、スタッフの特権で絶好のポジションから山笠の櫛田入りを見ることができて感無量だった。
中継終了後は撤収して社に帰り、倉庫に機材をしまったり、東京からの応援機材をトラックに積み込んだりした。給料は2日で15000円くらいだったかなあ。

戸畑祇園山笠 テキ屋
(平成8年7月下旬)

この当時は長期のバイトをしていなかったので、バイト情報誌のanで単発のバイトを探していたところ、出会ったのがこれ。実家(小倉)の近くの祭りで、焼き鳥やイカ焼きをした。2日間連チャンでやったけど、確か日給9000円ぐらいあったはず。
色々と祭りの裏側というものを見てしまった。はっきり言ってもう二度と祭りで食べ物は買いません。テキ屋関係者の方が見るとまずいので(99%見ることはないと思うけど)、あまり詳しくは書かない。
夏の炎天下に熱い鉄板の前に立たされてシンドかった。風船やヨーヨー、金魚すくいなんかに配属された奴らが恨めしかった。収穫といえば、イカのさばき方をマスターしたことかな。

岩国花火大会 テキ屋
(平成8年8月上旬)

上の戸畑祇園と同じ会社。今までの人生を振り返ってみても、これが一番きついバイトだった。その後どんなバイトをしても、「あの岩国の時より楽だ」って思えたもんなあ。何せ家を出たのが朝8:30で、解放されて再び家に帰り着いたのが翌朝4:30。すなわち拘束時間は20時間。さすがに16000円くらい出た気がする。
また焼き鳥をやらされた(経験者ということで)。戸畑に輪をかけた炎天下で、マジで日射病で倒れるかと思った。現場は有名な錦帯橋の下の河原だった。錦帯橋は中学の修学旅行で来たことがあったが、まさかこんな形で再会するとは、弱冠14歳(当時)の少年は夢にも思わなかったろう。
岩国には米軍の基地があり、米兵も多数来ていた。それにしてもこんな田舎(失礼)のどこから湧いてくるのか知らないが、やたら大勢の観光客が来ていて忙しいことこの上なかった。この時の心境を博多弁で表現するなら「なしこげん暑いとにお前ら焼き鳥ば買うとや!?」。準備も大変、焼く&売るも大変、撤収も大変の大変尽くしのバイトだった。収穫は「ジュク」「上げチカ」「おこの」等のテキ屋用語を学んだこと。

家庭教師
(平成8年8月中旬)

前述の女子高生(当時高3)の勉強を再び見ることに。多分5日間ぐらい。大学入学後4ヶ月も経つとそろそろ脳細胞も衰えはじめるが、何とか無難にこなすことができて良かった。

山崎製パン 福岡工場
(平成8年8月下旬)

これもQ大田島寮の館内放送モノ。全部で10人ほどの寮生が乗り込んだ。作業着・帽子・マスクの完全防備体制で、オートメーションで次々と出来上がってくる肉マンが16個入ったプレートをカートに移したり、あんこ入りの餅を向きを揃えてかごに入れたり、の単純作業の連続。これほど時の遥かさを感じたことはなかった。皆な努めて時計を見ないようにしていた。なぜなら見ても全然進んでないから。
つくづく思ったのは、今の時代はパンも大量生産で工業製品の一種なんだなあということ。それぞれのパン専用に造られたオートメーションの機械から、出来上がったパンが次から次へと吐き出されてくる。1個1個丁寧に造られてると思ったら大間違い(って、これ問題発言か?)。その工業製品にいつもお世話になってるんだけどね。

ローソン 福岡大名1号店
(平成8年8月下旬→同年12月下旬)

大学入学後初の長期バイトは、やはり学生にとって定番中の定番、コンビニだった。金・土のN(ナイトの略で、23:00-9:00)と、たまに平日のM(ミドルの略で、17:00-23:00)に入った。4ヶ月で30万以上稼いでそのお金で車の免許を取った。
賞味期限の切れた弁当・パン・ジュース・デザート・からあげクンなどは食べ放題だった。賞味期限が切れたといってもせいぜい数時間で、しかも翌朝5:00までに切れる分は23:00に引き上げるので、中には賞味期限の切れていないものもあった。シュークリームやコーヒーゼリーなど、自分で金を払って買う気のしないものもここぞとばかりに食べまくった。
仕事は仕入れさえ終われば後は楽勝。難点は週末が丸つぶれになることだった。仕入れの時に焼酎の瓶を割ってしまい店内が酒臭くなったこともあった。一番印象に残っているのは、最後の日に突然若い酔っ払いが突っ込んできて店内にいた客と口論になり、パトカーが出動する騒ぎになったこと。

テープ起こし
(平成8年12月上旬)

親戚に頼まれて、講演会のテープ起こしをした。テープの同じ個所を何度も何度も繰り返し再生しては、聴き取ってワープロに打ち込む。
一度はやってみたいバイトだったが、実際やってみると想像以上に大変だった。目茶苦茶時間かかるし、ずっとワープロの前に座りっぱなしなので目も手も疲れるし。プロがやると10分2000円らしいが、こっちは素人だったので120分テープで15000円くらい貰った。もう1回頼まれても2度とやる気しないなぁ。

KBC 九州朝日放送
(平成9年1月→平成14年2月)
仕事中!?

KBCは福岡にあるテレ朝系列の民放で、学生時代のメインアルバイトだった。平成9年1月から平成10年3月までは「モーニング・モーニング」という6:45〜8:00までの朝のローカル生番組を担当していた。平成10年4月からは、番組の改編に伴い誕生した後番組「朝はポレポレ」に移行したが、同番組の終了に伴って平成13年4月より後番組「アサデス。KBC」のスタッフとして大学卒業直前(そして国家試験直前)の平成14年2月まで勤務した。バイトグループの十数人全員がQ大生。業務内容はスタジオのアシスタントディレクター(AD)・ニュースVTRの編集・ENG(その日の生放送に使う30本以上のVTRを進行表に合わせて再生デッキにセットしてスタンバイする仕事)など。番組は平日のみで、平均して週2回バイトに入っていたが、多い時は週4回とか5回の時もあった。
社内のLスタジオ・L-SUB(司令室)・編集室・報道フロアが主な仕事場で、出社は朝4:00と早かったので会社から通勤用のタクシー券が渡された。通常のバイト以外にも、番組で社外ロケに行く時のADやテレ朝系列の25時間テレビ・元旦特番などの特殊なバイトも回してもらった。テレビ局、それも生放送というクリエイティブかつ緊張感ある刺激的な職場で丸5年も働けたのは本当に(×100)かけがえのない社会勉強になった。感謝です。ディレクターさんやタイムキーパーさんはじめスタッフの方々は皆さんとても魅力的で個性的で、自分自身5年もいればバイトの中でもすっかり古参顔になり、大変可愛がって頂いた。給料は社外秘。

NHK福岡 博多祇園山笠中継
(平成9年7月14日→15日)

前年と全く同じ。要領はつかんでいたので色んな作業をスムーズにこなせた。しかも追い山本番は2年連続太鼓台の後ろの櫓から見ることが出来た。もっともこれは「去年も太鼓台やりました!」と必死に経験者ということをアピールしたお陰なのだが。

海の日記念イベント 設営
(平成9年7月20日)

これまた田島寮の館内放送もの。朝6時に福岡タワーの下に集合し、解放されたのは夕方17時半。仕事は福岡ドームそばの百地浜で行われたイベントの設営で、海岸沿いのネットに何百本という旗を立てたり、抽選会用のラッキーナンバーカードを海辺でたわむれてる人達に配ったり、その抽選で当たった景品を交換所で手渡したりした。
朝イチの旗立てさえ終われば後は楽だった。しっかり日焼けもしたし。抽選会は山のようにカードを持って行ったガキどもばかりに豪華賞品が当たり、主催者は結構困っていた。日給8000円也。

KBC 25時間テレビ「水と緑の物語」
(平成9年8月1日→2日)

ローカル局単独としては全国初のテレソンとなった「水と緑の物語」。仕事はADで、内容は本社で運営にあたっている方々への接待、いわゆるケータリングである。お菓子やコーヒーなどが途切れないように各休憩所を見回ったり、終了後の打ち上げの準備・設営をしたりした。打ち上げには同席させて頂き、福岡限定アイドル(笑)と呼ばれる村仲ともみさん(KBC「ドォーモ」の元キャスター)に「お疲れ様でした」と声を掛けたら、「お疲れ様でした」と笑顔で返してくれた。これって福岡じゃ結構自慢になるんだけどなぁ。

KBC テレ朝系27時間テレビ「熱血チャレンジ宣言」
(平成9年11月8日)

ウッチャンナンチャンが司会をしていたあの番組である。現場は番組内の企画「30人31脚」の福岡代表となった上津役小学校で、東北のどこかの小学校との直接対決をKBCが生中継した。仕事はまたケータリングで、スタッフのタクシーを手配したり、お菓子やコーヒーを用意したり、スタッフルームをセッティングしたり。
1回戦に勝てばスタッフ一同ホテルに宿泊して朝イチの2回戦に備える筈だったが、惜しくも敗れた為、即撤収となった。応援のゲストとして元チェッカーズの鶴久政治さんが来ていた。

家庭教師
(平成9年12月下旬→10年1月上旬)

父の歯科医仲間の息子(高2)に年末年始の間の6日間、カテキョーをした。実家から車での往復だったので、免許取りたての身にはいい運転の練習になった。物理と化学を教えたが、もう新課程になっているので結構教えにくかった。何せラジアンを知らない(教わらない)世代だもんなあ。その代わり物理のモーメントなんかはお手上げ。えっ? 一般教養で習ったはず? 全然身についてませーん。

KBC テレ朝系元旦特番「豪邸珍邸グランプリ」
(平成9年12月31日→10年1月1日)

元旦特番の為に生まれて初めて大晦日を家族以外と過ごした。現場は大牟田で、仕事はまたまたケータリング。お菓子やコーヒーを用意したり、機材や小道具を運んだりした。大牟田の旅館をKBCで借り切って、スタッフ一同そこに泊まった。
B21スペシャルのミスターちん氏がゲスト。小雨が降っていたので、タクシーから待機場所までちん氏の後ろから傘を差したり、ちん氏とマネージャーにコーヒーやタオルを持って行ったりした。KBCの北村純子アナウンサーにお屠蘇をお酌して頂いたのも嬉しかった。

引越し
(平成10年2月21日)

単発バイトの定番といえばやはり引越し。福岡学生相談所(通称学相)で見つけた。もっと立てなくなるぐらいきついかと思ったが、意外と楽だった。同じ団地内(棟は別)の3階から1階への引っ越しだったからそうなのかも知れない。エレベーターなしの4階から4階とかだったら、多分数日間立てなかっただろう。日給8000也。

駐車場 誘導
(平成10年2月22日)

警備会社から朝の8時40分頃電話が掛かってきて、「急に欠員が出たので9時半までに現場に来てくれ」と突然言われたが、原チャをかっ飛ばして何とか間に合った。仕事は郊外型ショッピングセンターの駐車場での車の誘導。
日曜で天気が良かったせいか、これでもかと言わんばかりに次から次へと車がやって来た。これじゃあ都心の商店街はさびれますな。研修中ということで割と楽な配備をしてもらった。日給7000円也。

交通量調査
(平成10年2月26日→27日)

Q大教養部の学生用掲示板に貼ってあった。仕事は国道3号線(香椎)の車の通過台数調査。24時間のバイトだったので、なるべく体力を温存して、ひたすらロボットになった。正の字を書かされる時もあるらしいが、この時はカウンターだったので楽だった。とにかく視覚と指の運動以外の機能をシャットアウトした。
4人ひと組だった。最初の12時間は2人ペアになって上下線を分担し、「2時間調査・2時間休憩」。次の12時間は一人で上下線とも計測し、「1時間調査・3時間休憩」。拘束時間は24時間だが実働9時間で給料は23000円也。

KBC 創立45周年記念「伝説ライブ」
(平成10年3月1日)

甲斐バンド・海援隊・チューリップ・サンハウス(柴山俊之と鮎川誠)・井上陽水・長渕剛・チェッカーズなど、福岡から育ったミュージシャンは数え上げるとキリがない。それらのミュージシャンの内、無名時代にKBCの岸川均氏にお世話になったグループが、岸川氏の定年退職を記念して再結成し「伝説ライブ」が実現した。
今回の仕事もおなじみケータリングで、お菓子やコーヒーを用意したり、収録済のベーカムテープの管理をしたりした。タダでコンサートも聴けて実に美味しい仕事だった。

交通量調査
(平成10年3月4日→5日)

再び交通量調査。この日は福岡市西部の大動脈、国道202号線(別府橋通り)の荒江四ツ角付近だった。国道3号線と違い貨物トラックはほとんど通らないし、夜間は極端に交通量が減るので楽だった。やはり拘束24時間の実働9時間で給料は23000円也。

KBC 特番「夜はスッポン」ENG
(平成10年7月3日)

ENGというのは生放送のオンエアに使うVTRを再生機にスタンバイする仕事である。当時は学生バイトの中でENGができるのは自分しかいなかったので、よく特番のバイトを回してもらっていた。
この日は深夜の特番「夜はスッポン」のENGで、オンエアが24:57〜27:55だったので21:00に出社した。番組終了直前に流れるスタッフロールに自分の名前も入っており、感激。まさにTV局バイト冥利に尽きるといった感じ。

NHK福岡 博多祇園山笠中継
(平成10年7月14日→15日)

前年・前々年とほぼ同じ。違ったのは初めて徹夜組になった事。櫛田の桟敷席内に設けられたNHKの放送席に一般人が侵入しないよう見張る為だった。実際は徹夜といっても肉体労働の後だったので起きていられる筈もなく、放送席の中で眠りこけていた。
追い山終了後は在福テレビ局各社のケーブルを同時に撤去するのだが、その作業中やはり撤去に来ていたKBC制作技術部の社員の人と会ってしまい何とも気まずかった。
給料は徹夜だったせいか2日で18000円くらいあったと思う。

Q大医学部&農学部 クルミ人体実験
(平成10年10月17日→12月12日)

ごく簡単にいうとクルミ料理を2ヶ月間食べ続けたら10万円貰えるという企画、もとい実験。Q大医学部循環器内科と農学部栄養科学教室の共同実験。
被験者は男20・女20の計40人。全体を前半組と後半組の2班に分け、自分は前半組だった。前半組は最初の1ヶ月間クルミ料理を食べ、後半1ヶ月間は普通の食事(大学側が用意)を食べる。クルミ料理といっても皿の上にクルミが1個載ってる(笑)というのではなく、ごく普通の定食にクルミを使った小鉢が1品添えられるだけ。食事は朝と夜はQ大病院内の職員食堂で摂り、昼は大学生協の弁当を食べる(弁当引換券を渡される)。
開始前・1ヶ月後・終了後の計3回採血があり、また体重・血圧測定が計5回あった。始まると想像していたより大変で、まず土日も学校に来て決められた食事を摂らなくてはいけないので週末はどこにも行けない。朝寝坊して朝食を遅く摂ると昼食がきついので必然的に早起きになるし、必然的に早寝になる。またアルコールを飲んではいけないので飲み会にも行けない。従って非常に健康的な日々を過ごした。
無事終了して成功報酬10万円をゲットしたが、実際は2ヶ月分の食費も浮いたので実質18万円くらいの価値はあった。

九州場所前夜祭 清掃
(平成10年11月上旬)

学相もの。大相撲九州場所前夜祭(NHK主催)の清掃で、現場は福岡国際センター。前夜祭開始前に集合させられたが、前夜祭中はヒマで、武蔵丸や貴ノ浪などの巨漢が側を通る度に「おぉー」と感心していた。
終了後、客席に残ったゴミ等を片付け、通路をモップ掛け。人数も多かったし社員も手伝ってくれたので楽だった。拘束3時間の実働1時間で3000円くらいだったかなぁ。

ホテル 皿洗い
(平成10年11月22日)

学相もの。この日は九州場所の千秋楽で、Q大箱崎キャンパスに近いリーセントホテルで伊勢ノ海部屋の打ち上げパーティーがあった。仕事は、次から次へと運ばれてくる皿や食器の下洗い。
明らかに下っ端と分かる付け人達がせわしなく動き回っていた一方で、部屋の出世頭である土佐ノ海は堂々と構えていたのが印象的。給料は5時間で6000円也。

展示会 搬出
(平成10年11月25日)

学相もの。学相の単発バイトにはこのテの搬入・搬出ものが多い。現場は天神のイムズビルで、どうやら着物の展示会だったらしい。
展示用器材をカートに積み込んでは下で待つトラックに撤収、の繰り返しで、比較的楽な部類の仕事だった。給料は19:30〜22:30までの3時間で3500円也。

交通量調査
(平成11年2月9日→10日)

毎年この時期になると始まる交通量調査で、もはや風物詩と化している。今回の現場は久留米市の国道3号線。
以前やった香椎の3号線は片側3車線の6車線で大変だったが、今回は片側1車線の2車線だったので楽勝だった。いつもなら昼間は交代制で上下線分担する所だが、今回は始めから一人で上下線を計測。しかも自分はずっと運転席を占領し、休憩時間はシートを倒して寝れた。今までの交通量調査史上、今回が最楽だった。給料は拘束24時間の実働8時間で25000円也。

展示会 搬入
(平成11年2月22日)

学相もの。現場は博多駅裏のとあるビルで、服飾の展示会らしく、多数のマネキンを運ばされた。指示する人が少々アタマが悪く、「ゴメン、それ違った」とか云いながら何度もやり直しをさせられた。福岡歯科大の学生もバイトに来ていて、休憩中は歯科の話で盛り上がった。給料は5時間で6000円也。

交通量調査
(平成11年2月23日→24日)

今年2回目の交通量調査で、現場は筑後市役所前の国道3号線。久留米市と同様、片側1車線の2車線だったので計測自体は楽だったが、今回は後部座席だったので身体が窮屈できつかった。給料は前回同様、拘束24時間の実働8時間で25000円也。

引越し
(平成11年2月27日)

学相もの。今思い出しても悪夢のようなバイトだった。現場は香椎のNTTで、内容的には事務所の移転。しかし事務所の移転というのは最悪である。まず何フロアもあって現場が広く、しかも机やロッカーはどれも巨大で重たい。あまりの大変さに開始2時間でバイト全員無口になり、気分が悪くなって倒れる奴も出る始末。冗談抜きで給料いらないから帰らせて欲しかった。ていうか本当に逃げようかと思った。
岩国でのテキ屋バイトに匹敵するぐらいきつく、もう2度と引越しのバイトはしないぞと固く心に誓った。給料は8時間で7000円也(安い、安すぎる!)

展示会 搬入
(平成11年3月1日)

学相もの。現場は博多駅筑紫口の都ホテルで、どうやら陶器か何かの展示会らしかった。開始後すぐに若手社員(?)らしき3人組がやって来て手伝ってくれた。手伝ってくれたというよりほとんど彼らがしたので、我々学相バイトは何もする事がなかった。
結局3時間の予定が1時間で終わり、給料は予定通り3000円をゲットしたので時給3000円! 学相バイトはたまにこういう事があるのでオイシイ。

家庭教師
(平成11年3月2日→平成13年2月6日)

大学を卒業するKBCバイトの先輩から女子高生の家庭教師を引き継いだ。約2年間英語を教えたがあまり成績を上げてあげられなかったのが残念だし、申し訳ないと思う(懺悔)
世の中にはこんな豪邸もあるんだ、と思わず感心してしまうほどの超が付く豪邸だった(本当) その広さは「家庭教師専用の部屋」があるという事実を紹介するだけでおおよそご想像頂けるかと思う(実話)

展示会 搬入
(平成11年3月3日)

学相もの。現場は中洲に近い下川端のホテルオークラ。同ホテル開業記念か何かの大規模な展示会で、会場も広かったしバイトの人数も多かった。終了後、一緒にバイトに入った友人と厨房のようなフロアに侵入し、ケーキを発見したのでただちに胃袋に押収した(もう時効でしょう)。給料は5時間で6000円くらいだったかなぁ。

NHK福岡 博多祇園山笠中継
(平成11年7月14日→15日)

前年・前々年・前々々年とほぼ同じ・・・と云いたいが、4年目にして初めて櫛田神社を離れ、祇園町の東長寺に配属された。実はこの年は渡英直前で忙しく、当初するつもりは全然なかったのだが、当日になって「バイトが一人ドタキャンしたから来てくれ」と云われ、しぶしぶNHKに向かったのだった。
それでも今までとは違った視点から山笠を見る事ができ、これはこれで有意義だった。徹夜ではなく中洲の旅館に泊まれたし、作業も櫛田より断然楽だった。ただ、山笠の最大の見どころはやっぱり櫛田入りであるとも再認識した。給料は拘束18時間の実働5時間弱で10000円也。

店内改装 搬出入
(平成12年3月1日)

約1年ぶりの学相もの。現場は岩田屋Z-SIDEで、店内の改装に伴うディスプレイ機材の搬出入だった。バイトの人数は4人で時間は2.5時間と軽めの仕事だったが、1年ぶりの肉体労働だったのでリハビリとしてはまぁこんな所だろう。
感想としては初めて閉店後のデパート内をうろついたというのがあるが、そんな事よりも感動的だったのはバイト終了後のバイト料受け渡しだった。肉体労働したあとに生の現金を手渡されると、働いたという実感がしみじみと湧いてくる。
何しろKBCは銀行振込で家庭教師は月払いだから、即金現生というのは日頃なかなか味わえないのだ。給料は2.5時間で2500円也。

店内改装 搬出入
(平成12年3月2日)

前日に引き続き、現場は岩田屋Z-SIDE。業務内容も前日と同じだったが、違ったのはバイトの人数。今回は15人ほどおり、時間も前日の倍の5時間だった。その中にたまたまQ大田島寮の後輩がいた。世間は狭い。
5時間というのはそれなりに長く感じたが、前日のバイトで身体を慣らしていたのでそこまできつくはなかった。給料は5時間で5000円+交通費500円で計5500円也。

不動産屋 間取り入力その他
(平成12年3月上旬→6月上旬)

以前このページに勤務先の会社の実名を載せてたら上司に検索されてやばい事になりかけたので慌てて伏せた。業務は会社のホームページに載せる物件の間取り入力や家賃・面積等の物件別データ入力、室内写真のスキャニングと画像処理、現地まで出向いての周辺調査などなど実に多岐にわたった。最後の方ではライバル不動産会社の前に張り込んで、入店するお客さんの数をこっそりカウントするなんて仕事もあった(笑、実話)
このバイトはエジプト旅行を目指した「3月20万計画」の一環として始めたもので、もともとは学相の長期募集の欄で見付けた。時間は不規則な上にほとんど毎日の出勤で、春休みが長かったあの頃だからこそできた仕事だなぁ。時給は850円だったけど暇な時間も多かったので楽だった。ちなみに20万計画はKBC・家庭教師・不動産屋・単発バイトで働きまくって無事達成♪

展示用機材 搬入
(平成12年9月28日)

久々の学相もの。仕事はおなじみの機材搬入で、もう手馴れたもの。現場は博多駅南のアパレルメーカーだった。率いる社員のおっちゃん達は皆な優しくて、途中にわざわざ休憩をはさんで缶コーヒーをおごってくれた。2フロアを往復しなきゃいけないのがちょっと面倒だったけど許容範囲。時間も短かったし楽勝っス。給料は4時間で4000円也。

展示用機材 研磨
(平成13年2月26日)

約半年ぶりの学相もの。現場は出頭先の会社から車で10分ほどの倉庫で、朝9時から夕方17時半まで200近くの展示用ワゴンをひたすらワックスで磨いた。だるいと云えばだるい仕事だが、やはり肉体労働というのは「働いてるー」という実感がしみじみ湧いてきて、デスクワークでは味わえない「労働の喜び」みたいなのを味わえるから結構好きだ。しかも給料は現金手渡しというのがまた泣かせる。学相は確かに給料安いけど、たまに入ると日頃忘れている何かを思い出させてくれるからいい。日当は1hの残業手当もついて7500円也。

店内改装 搬入
(平成13年3月21日)

学相もの。現場は福岡三越で、仕事はワゴンやマネキンの搬入だった。時間はもともと18時から21時までの予定だったが、18時から始めて1hほどで大体の仕事は終わって19時から20時まで休憩。そのあと再開したが、ものの15分ほどで終わって結局20時半前に解散。今までの学相バイトの中でも3本の指に入るくらい超楽勝のバイトだった。結局実働1.5h弱で給料は3000円也。


とっぷぺえじ