London編(part1)
朝から暑すぎるほどの快晴。5:30に起きたので超眠かったが、眠い目をこすりつつ街の中心部にあるCoach Stationへ。ちなみにCoachとは英国内を縦横に走る長距離バスの事。6:30と早いバスだったのでガラガラかと思ったら、ほぼ満席だったので驚いた。周囲にはキャンセル待ちの人達が群れを成していた。ちゃんと予約しておいて良かった。車中からのんびり田園風景でも眺めていようかと思っていたが、しっかり寝てしまった(苦笑)
24/Jul/99 (Sat) 晴
どれぐらい寝たのだろうか。寝ぼけまなこでふと窓外を見ると、いつの間にかThames川沿いを走っているではないか。しかもちょうどCleopatra's Needle(Cleopatraの針)の前を通過する所だった。やがて遠くに憧れのBig Benが見えてきて、それを見たら眠気は一気に吹っ飛んだ。Victria Coach Stationに至る道中、Big BenとWestminster寺院の真下を通り過ぎた。何しろ初めて生でBig Benを見たので、ただただ感動。
到着後、まずVictria駅内にあるTourist Information Centre(英国ではどんな街にも観光案内所がある)に行き、Buckingham宮殿の衛兵交代が土日のどちらに行なわれるかを尋ねた。というのもこの季節は衛兵交代は1日おきなので、ちゃんと調べてから行かないと待ち呆けを喰わされる羽目になってしまうのだ。そんな訳で衛兵交代の有無により、一応2通りのコースを作っておいた。結局日曜との事だったのでBuckingham宮殿は明日に回し、今日は衛兵交代無しを想定したコースで周る事にした。
Victria Station
ここの観光案内所は朝早い時間といえども混んでいて、随分並んだ割に衛兵交代のスケジュールを訊いただけで去るのもシャク(?)なので、ついでにここでWeekend Travelcardを買った。これはLondonのバスと地下鉄が週末の2日間乗り放題になる有難いカードで、観光客の強い味方。料金は£5.70也。ちなみに1日のみ有効のOneday Travelcardもあり、こちらは£3.80。
ただしこれらの料金はあくまでもZone1・2のみの場合。LondonはZone制を採っていて、中心部から同心円状にZone1、Zone2・・・となっており、Zoneをまたがるごとに料金が加算される。でも一般の観光客が行くような所はほとんど全てZone1内にあるので、よほどの事がない限りZone1・2のカードを買っておけば大丈夫。
Westminster Cathedral
こちらはWestminster大聖堂と訳される。時間の都合で入場は割愛して写真のみ撮影し、Westminster寺院の方に向かった。次回の渡英時には是非内部も見学したい。
Westminster Abbey
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Westminster寺院は11世紀に建てられた壮大なゴシック建築の教会で、Edward the Confessor(Edward証誓王)以来約40人の王がここで戴冠式を挙げた。内部には大英帝国を築き支えた人々の墓が所狭しとあり、正に大英帝国の象徴というか大英帝国の背負う歴史の全てが凝縮されている所だ。ちなみに入場料は学生料金で£3.00。
ElizabethT世の墓の前には特に"Keep Silent"の表示があり、思わず畏まってしまう。最も奥にあるThe Royal Air Force Chapel(空軍チャペル)にはステンドグラスを透かした日光が燦々と降り注いでおり、実に荘厳だった。内陣にあるEdward証誓王の聖廟は立入禁止になっており、厳重に護られている。出口近くにはShakespeareの墓もあり、彼の作品が大好きな自分としては感慨深かった。尤も本物の墓は故郷のStratford upon Avonにあるらしいので、ここにあるのは分骨といった所か。
床のタイルにもそこに故人の墓がある事を示す銘板が無数に埋められており、"Near this place 〜 was buried."との表示があちこちにある。通路にあるから皆な普通にそれらの墓を踏んで歩くのだが、ちょっと申し訳ないような気もする。
王族や貴族の墓には大抵見事な装飾があり、死者の生前の姿を象ったと思われる偶像が棺の上に寝せられている。それらは胸の上で掌を合わせており、枕元には天使の像や時にはドクロが置かれている。
自分は故人を象ったこれらの偶像から強い印象を受けた。偶像崇拝をしない我々日本人には見慣れない光景だったというのもあるけど、棺の真上に寝せられているというのがポイント。欧米では火葬をせず遺体をそのまま納棺するので、それらの偶像は直下にある遺体と同じ格好、同じ位置関係で寝せられているという事になる。中の遺体はとっくに腐敗しているんだろうけど、直上の偶像は変わらぬ姿のまま数百年の時を経過する。何となくミイラに近い思想を感じる。・・・そんな事を考えながら見ていたので、偶像を見た時に何ともいえない畏れの気持ちを抱いたのだろう。
ここは建築物として見ても天井のゴシックアーチが実に見事だった。ともあれ大英帝国の歩んできた歴史の重さをひしひしと感じさせるような、そして観る者をして畏敬の念を起こさしめずにはおかないような、そんなWestminster寺院だった。ここを訪れずして何のLondonか、と云いたくなる。絶対オススメ。
Horse Guards
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直訳すれば近衛騎兵だろうか。St.James's Parkに面する官庁街にHorse Guards Paradeという広場があり、ここで11:00から騎兵交代が行なわれる。Westminster寺院を出て時計を見たら10:40ぐらいだったので、折角だから騎兵交代を見てから移動する事にした。
正門に回ると、正門左右の門衛所の中に2人の騎兵が馬にまたがり、不動の姿勢で門を厳護している。厳護といってもあふれる観光客は平気で門内を行ったり来たりしているので、一体何を厳護しているのか不思議だ。それにしても観光客の多い事!(まぁ自分もその一人だけど)。観光客は無表情の騎兵の側に寄り、馬をなでながら記念写真に納まっている。自分も気のいいおばさんに頼んで撮って貰った。
そうこうする内に騎兵交代の時間が近づいてきた。10:55になるとまず旧騎兵が広場に集合して1列に整然と並ぶ。そして11:00になるとSt.James's Parkの方から新騎兵が馬の轡を鳴らしながらやって来る。新旧双方に隊長らしき人がおり、低く太い威厳のある声で"Old Guaaaards!!" "New Guaaaards!!"と叫びながら部下達に呼びかけ、短い言葉でそれぞれの命令を伝える。するとその配下達がそれに合わせて銃剣を機敏に動かす。旧騎兵は黒い服に赤い房のついた兜、新騎兵は赤い服に白い房のついた兜という出で立ちで、ひと目で双方を区別できる。陽光を浴びてきらめく銀の胸当てが美しい。
後日これを見た一部のQ大生にはつまらなかったと評判が悪かったようだが、少なくとも自分は実に英国らしいひとコマだと感じ、とても気に入った。何十年、何百年と倦む事なくこの儀式を続けてきたのだろうし、これからもまた続けていくのだろう。英国の誇る伝統の保持力というものを痛切に感じた騎兵交代だった。
10 Downing Street
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邦訳すれば「ダウニング街10番地」。かの有名な英国首相官邸の別称である。Horse GuardsからBig Benへの通り道にあるので、ちょっと覗いていく事にした。Downing Streetそのものは高い鉄製の柵とお巡りさんによって立入禁止になっているが、蟻のようにむらがる観光客(だから自分もその一人なんだってば)は柵越しにパシャパシャとシャッターを切っている。観光客をかき分けかき分け、背の高い黒人のお巡りさんに一体どの建物が首相官邸なのか尋ねてみたら、「右の奥にある茶色の建物がそうだよ」と気さくに教えてくれた。
どれだけ多くの政治家がこの邸の主になる事を夢見たのだろう。しかし激しい競争に克つだけの実力を備え、そして恐らくは幸運にも恵まれた少数の政治家のみがその願いをかなえ、ここから世界への戦略を練ったに違いない。
Houses of Parliament (Big Ben)
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Houses of Parliamentとは国会議事堂の事。Big Benは本来時計塔の中の鐘のみを指していたのだが、いつの間にか時計塔全体の呼び名になり、時には国会議事堂そのものの別称にまで拡大解釈されていった。
Thames川に架かるWestminster橋の欄干にもたれながら、15分おきに打たれるBig Benの鐘の音に耳を澄ます・・・この光景にずっとずっと憧れていたが、ついに実現できて感慨無量。実物のBig Benは想像していたよりもずっと逞しく、どっしりと力強く見えた。国会議事堂のゴシック建築も優雅で正に云う事なし!
ところで以前見たTV番組の中で、日本人リポーターがこの橋の上を行き交う人にBig Benの名前の由来を尋ねて回るというのがあった。人によって答えが違うのが面白かったのを覚えている。曰く「かつての有名な政治家にちなんで名付けた」、曰く「この国会議事堂の設計者」、曰く「国会議事堂を建てるのに多額の寄付をした人を記念して名付けた」、曰く「Benとは俗語で時計の事」等々(正解は工事担当者のBenjamin Hallの愛称)。
それでいつかLondonに行く機会があったら同じ場所で同じ質問をしてみようと思っていたのだが、いざ来てみるとそれは諦めざるを得なかった。何故なら橋を行く人はほとんど観光客なので、由来なんか知ってそうになかったから。ここに限らずLondonは本当に世界中からやって来た人々であふれているので、うっかり道も訊けない。Londoner(Londonっ子)をつかまえるのは至難の業だ。
ともあれThamesの川面に絶える事なくその鐘の音色を響かせてきたBig Ben、これからも永遠に全てのLondonerに刻を告げ続けるのだろう。
Pierとは桟橋の意。Big BenからLondon塔まで船でThames川を下る事にした。料金は片道£4.60。ちなみにここから天文台と標準時で有名なGreenwich行きの船にも乗れる。ここも相変わらず観光客であふれていて、切符売場は長蛇の列。炎天下にだいぶ待たされ、余りにも暑かったので£1.00のアイスクリームを買い涼を求めた。このようなアイスクリーム売りの露店はLondonに限らず英国中の至る所にある。
Westminster Pier
早速船のオープンデッキに乗り込む。運良く端の席が空いていたのでそこに座る。いよいよ出航だ。スピーカーからは川岸に立ち並ぶ名所を紹介するガイドさんの声が聞こえてくる。その間まるで隅田川の川下りのように、Thames川に架かる橋を次々とくぐっていく。Charing Cross鉄道橋、Waterloo橋、Blackfriars橋、Southwark橋、London橋・・・。橋をくぐる時はスピーカーから流れる案内の声が反響して何ともいえない独特の雰囲気になる。
Charing Cross駅の隣にVictoria Embankment Parkの緑が見え、その岸辺に今朝バスから見たCleopatra's Needleが立っているのが見えた。続いてCityの横を通る時には大きなCityの紋章が見え、その奥にはSt.Paul大聖堂のドーム屋根が顔を覗かせていた。穏やかなThamesの流れに揺られながら、川面に反射する日光のきらめきをぼんやり眺めているだけでも幸せな気分になる。
やがて船はゆっくりとLondon塔とTower Bridgeに近付いてきた。Tower PierはTower Bridgeの手前にあるのだが、サービスの一環なのか1回橋をくぐってからUターンして桟橋に停泊した。橋をくぐる時にガイドさんが「この橋は1895年に建造され・・・」と解説してくれたが、in 1895を「アインティーンナイティファイブ」と発音し、しっかりコクニー(London訛り)になっていたので思わず微笑んでしまった。
Tower of London
下船して早速London塔に向かう。Tower Bridgeの見えるベンチに腰掛け、持参した夏目漱石の「倫敦塔」(ろんどんとう)を一気に読破した。London塔で「倫敦塔」を読むのがずっと心に秘めていた夢だった(笑) その夢が叶い感激!(以下『 』で囲んだのは同書からの引用)
読後、塔内へ。入場料は学生料金で£7.90と、ちょっと高い・・・。London塔は1078年にWilliam the Conqueror(William征服王)が築いた。砦として使用された事はなく、時の王家に敵対する王族や貴族の幽閉所・処刑所として用いられてきた。
『倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたものである。過去と云ふ怪しき物を蔽へる戸帳が自ずと裂けて龕中の幽光を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。凡てを葬る時の流れが逆しまに戻って古代の一片が現代に漂ひ来れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り残されたるは倫敦塔である』
漱石が小説中で「中塔」と訳したMiddle Tower、「鐘塔」と訳したBell Towerの側を通ってまっすぐ行くと、右手にTraitor's Gate(逆賊門)がある。漱石はこの門についてこう記している。
『又少し行くと右手に逆賊門がある。門の上には聖タマス塔が聳えてゐる。逆賊門とは名前からが既に恐ろしい。古来から塔中に生きながら葬られたる幾千の罪人は皆舟からこの門まで護送されたのである。彼等が舟を捨てて一度びこの門を通過するや否や娑婆の太陽は再び彼等を照らさなかつた。テームスは彼等にとっての三途の川でこの門は冥府に通ずる入口であつた』
一体幾人の血がこの敷地を流れたのだろう。漱石が「血塔」と訳したBloody Tower内に入ると、窓からは悠然と流れるThames川が見える。我々の目には優しく流れるように見えるこの川も、鎖に繋がれたかつての刑囚達には血のように残酷で冷徹な流れに見えたに違いない。
『左りへ折れて血塔の門に入る。今は昔し薔薇の乱に目に余る多くの人を幽閉したのはこの塔である。草の如く人を薙ぎ、鶏の如く人を潰し、乾鮭の如く屍を積んだのはこの塔である。血塔と名をつけたのも無理はない』
中央に建つ城塞のようなWhite Towerに入る。漱石はこれを「白塔」と訳している(それにしても全部直訳だ)。内部は武具や甲冑の一大展示館になっている。それらの夥しい展示物の中に、1613年に徳川秀忠がKing JamesT世に贈ったという日本式の鎧兜があり興味深かった。東インド会社のCaptain John Sarisが日本から持ち帰ったものだという。これが王宮に届けられた時、きっと王族廷臣の全てがこの異国の見慣れぬ甲冑を物珍しく見詰めた事だろう。
『南側から入って螺旋状の階段を上るとここに有名な武器陳列場がある。時々手を入れるものと見えて皆ぴかぴかに光つてゐる。日本に居つたとき歴史や小説で御目にかかるだけで一向要領を得なかつたものが一々明瞭になるのは甚だ嬉しい』
London塔は広大であり、所々にBeefeaterと呼ばれる衛兵が立って案内役を務めている。時には周囲に大勢の観光客を集めて、その塔その塔の歴史や由来を語って聴かせる事もある。
『ビーフ・イーターと云ふと始終牛でも食つてゐる人の様に思はれるがそんなものではない。彼は倫敦塔の番人である。絹帽を潰した様な帽子を被って美術学校の生徒の様な服を纏ふてゐる』
London塔は光り輝く大英帝国史の中で陰の象徴である。しかしこれの故に英国民気質を残酷だとか野蛮であるとか断じる事はできない。いかなる国でも体制は常に反体制に死を以って報いてきたし、日本とて例外ではない。遠くは鬼界ヶ島に流された俊寛がそうであるし、近くは安政の大獄もそうである。世界中を見渡せばこのような例は枚挙に暇があるまい。いつの世でもLondon塔を訪れる者は、ここにそのような悲惨な人類史を垣間見る事ができる。
London塔は細部にわたってよく保存されている。実際、自分の見たLondon塔と漱石の見たそれに大差はなかろう。この故に自分は塔中を歩きながら、漱石と肩を並べながら共に見物しているような気さえしたものである。なお小説そのものとしても「倫敦塔」はオススメである。興味のある方は是非ご一読あれ。
Jewel House(宝物館)はLondon塔の敷地内にあるので、本来前の項と一緒にすべきなのかも知れないが、余りにも長くなってしまったので無理矢理別の項にした。同じ敷地内なので当然別料金はかからない。ただし、長蛇の列。
Jewel House
やっと館内に入ったと思ったら、薄暗い部屋の中で大きな映写を見ながらまた歩かされる。この映写ではこの先に陳列してある展示物の解説図や、王冠が実際に戴冠式に用いられた際の映像等が流され、ちゃんと「予習」できるようになっている。ただこれに見入っているのか所々に立ち止まっている人がいる。これが長蛇の列の原因なのかも!?
映像ルームを抜けるといよいよ息を飲む美しさの王冠や宝剣の数々が。ここは立ち止まらず強制的に進行するよう動く歩道になっている(爆) もう全部見事だったけれども、あえてベスト3を挙げるなら、"Imperial Crown of India" "Imperial State Crown" "Jeweled Sword"だろう。これらは必見!
本当はTower Bridgeの方が近いけど、時間の関係上先にSt.Paul大聖堂に行き、その後引き返してくる事にした。Double Decker(2階建てバス)に乗って行く事にしたが、周りを見渡してもバス停がない。バスの通り道に沿って歩いていればいつか見付かるだろうと思い、西に向かって歩き出す・・・が、ひたすら歩いても全然バス停がない! それどころかその道をDouble Deckerが走っていない事に(ようやく)気付く。途中で地図を確認するとバス通りの1本南の道を歩いていたのだった。何でもっと早く確認しなかったか嘆いたが後の祭り。
City
結果的にCityを歩いて横断した形になった。Cityは超有名なので説明の必要はないと思うが、簡単にいうとLondon発祥の地で現在は世界有数の金融街。ローマ時代から経済の中心地として特権が与えられており、現在でも特別行政区として女王は市長の許可なしに立ち入れない事になっている。
Londonに限らず欧米の都市はどこもそうだが、全ての通りに名前が付けられており、建物の壁にはその面する通り名を記したプレートが貼られている。City内ではどのプレートにも通りの名前の左側にCityの紋章と"City of London"という文字が付け加えられている。ここにCityの誇りと自負が象徴されているようで印象的だった。これはきっとバスに乗っていたら気付かなかったに違いない、と負け惜しんでみる(笑)
St.Paul's Cathedral
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結局London塔からSt.Paul大聖堂まで歩く羽目になってしまい疲れた。これが涼しかったらまだいいのだが、炎天下だから尚更こたえる。16:00入場締切だったが15:40頃着いたので、大聖堂前の噴水の側にあるベンチに腰掛けしばし休憩。16:00ぎりぎりに入ればいいやと考えた。
それで本当に16:00ぎりぎりまで休憩し、さあ入ろうと思ったら今度は入口がどこか分からないので焦った。早くしないと16:00になって締切られてしまう。これで入れなかったら道化もいい所。結局入口を探して駆け回ったので、折角休憩したのにあまり意味が無かった。
ようやく見付け学生料金£3.50を払う。入場時に半券を捨てないよう云われた。中に入るとWestminster寺院と同様、壁際に無数の墓が並ぶ。が、圧巻は内陣中央の上方にあるドーム天井の途方もない高さとその内側の装飾壁画。これは17世紀後半に建てられ、時の大建築家Christopher Wrenの最高傑作というが、なるほどとうなずける。確かに聖歌隊席の装飾も見事でそれも大きな見どころに違いないが、やはり何といってもドームの壁画に尽きる。
ご丁寧にドーム直下に多数の椅子が並べられていて、腰掛けて見上げられるようになっている。自分もそこに座ってぼーっと天井を眺めていたら、16:00過ぎに1分間の祈りの静止を求められた。その際のアナウンスで16:15分にCrypt(地下墓所)を閉鎖するというので、慌ててそこに向かう事にした。
最初入口が見当たらず迷ったが、何とか地下墓所に入れた。中央にNelson提督や探検家のLivingstonの大きな墓があり、階段近くには設計者Wrenの墓もある。
奥は売店になっていて、何も買う物がないので引き返そうと思ったら、たった今通ったゲートが閉鎖されている! 係の人に戻りたい旨を伝えたら、一旦外に出て入り直してくれと云う。もう一度入場料を払う必要があるのかと尋ねたら、半券があれば大丈夫と云う。ああ、だから半券を捨てるなと云われたのかと一人納得。
さて云われた通り出て入り直すと、さっき入場料を払ったチケットカウンターがない。皆なタダで入っている。どうやら16:15を過ぎるとタダになるような雰囲気なのだが、自分はついさっき払ったばかりなのでどうも釈然としない。聞いてないよー、と云いたくなった。
しかしもっと驚いた事に先程まで入れた筈の内陣が立入禁止になっている。17:00からEvensong(晩祷)が始まる為と云う。当然Whispering Gallery(ささやきの回廊)にも、ドームの展望台にも入れなくなっている。Whispering Galleryは反対側でのささやき声が聞こえるという不思議な回廊で、是非行ってみたかっただけに残念。教訓としては時間ぎりぎりに入ればいいってもんではないという事(まぁこの教訓もその後あまり生かされなかったが)。
今度は道を間違えなかった(笑) 15番のバスに乗り再びTower Bridgeへ。初2階建てバスだったので、勇んで2階に上がった。最前列はあいにく塞がっていたが、最前列でなくとも申し分ない眺望が楽しめた。日本と違って停留所のアナウンスがないから降りにくいと聞いていたのでドキドキしたが、Tower Bridgeでは多数の乗客が降りて行ったのでその人達に続けばOKだった。
Double Decker
Tower Bridge
さあTower Bridgeだ(漱石はこれを「塔橋」と訳したが、これもただの直訳だ)。それにしてもこの水色と灰色のコントラストの素晴らしさは! 世界中にこれより優雅で雄大な橋があろうか? このような見事な建造物を生み出した英国民に敬意を表したくなる。どんなに人生に疲れたLondonerも、このTower Bridgeを見る度にきっと勇気を取り戻した事だろう。
学生料金£4.15を払い北塔から中に入る。順路としては北塔を登り、橋を渡り、南塔を降りるという風になっているのだが、各塔は単なる通路ではなく、各階層ごとに趣向を凝らして橋の構造や歴史を理解できるようになっている。特に北塔3階の精巧なからくり人形2体は良かった。まるでディズニーランドのカリブの海賊のよう。
最上階に達し橋を渡る。吹き抜けになってさぞ風が気持ち良かろうと思ったら、ガラスと天井で囲われていた(笑) 考えたら当たり前で、事故や自殺を防ぐ為だろう。やや拍子抜け。しかも最初に渡ったのが東橋だったので特に見る物もなく、早々と西橋に移った。さすがにここからはLondon塔やSt.Paul大聖堂がよく見えたが、でも期待した程ではなかった。
南塔も北塔と似た構造になっていて、凝った映写装置が用意されていた。降りた後、地下の機械室を見学。ここで日本人らしき人に声を掛けると、やっぱり日本人だった。その人は今朝から散々歩いて疲れたらしく、自分もかなり疲れていたので橋のたもとで休憩。Thames川沿いのベンチに腰掛け、対岸のLondon塔を眺めながらLondonの空気を吸ってぼーっと過ごす。これだけでも充分幸せな気分だった。
再びCity方面に向かう15番のバスに乗り、Covent Gardenを目指す。窓外に見える通り名を示すプレートや道路の形状と地図を交互に見比べながら、ここだ!という所でボタンを押したら名門Savoy Hotelの目の前に降り、正にどんぴしゃり。Double Deckerの乗り方に一歩習熟できたようで嬉しい。
Covent Garden
Covent Gardenとはいっても庭園があったのは17世紀までの話。現在は一大ショッピングアーケードになっている。かの大女優Audrey Hepburnが映画"My Fair Lady"の中で踊ったという教会らしきものがあるが、映画を観てないのでよく分からなかった。
とにかく人が多く、オープンカフェはどこも満席。ストリートパフォーマーも多く、あちこちで人垣を作っている。随分賑やかな場所だなぁというのが第一印象だ。夕食は迷った末に"Palms"というレストランに入りspaghetti carbonaraを注文した。ちょっと普通過ぎるかなとも思ったけど、英国料理はまずい(笑)と聞いていたのでスパゲッティならまずく作りようがない!と思いこれにした。まぁ味にこだわるタイプでは全然ないので何でも良かったんだけど。
それより食事を待つ間に重大な事に気付いた。予約したバスの出発時刻に間に合いそうにないのだ。20:30発なのに今19:35だから1時間を切っている。しかも食事はまだ運ばれて来てすらない。20:10にここを出ればぎりぎりか・・・でもどうやって行こうか? バス? それとも地下鉄? 地下鉄は乗り換えで時間を食いそうだし、バスはなかなか来ない上に渋滞になったらアウト! いっそタクシーを飛ばさせるか? でも冷静に考えたらCambridgeまでバスで片道£7で行けるので、タクシー代が£7以上かかる場合は意味が無い。
あれこれ考えているうちに食事が来たので、食べながら到達した結論は・・・いさぎよく諦める! 片道料金でもそんなにべらぼうに高い訳ではないし、別にいいやと思った。夕食後、是非散策してみたかったStrand方面へ向かう。ここからならかなり近い。
まずLincoln's Inn Fieldsに向かった。ここら一帯はStrandと呼ばれるが、Strandとは岸辺の意。ここはLaw Courts(後述)がある為、法律街になっている。またFleet Streetはかつては大新聞社街でもあった。
Lincoln's Inn Fields
それにしてもあんなに賑やかだったCovent Gardenから一歩離れると、途端に寂しくなる。特にLincoln's Inn(法学院)に至る道端には多数のホームレスらしき人々がたむろしていて不気味。日本より陽が落ちるのが遅いので実感が湧かないが、もう20:30を過ぎているのだ。こんな時間に一人歩きするのは考えものかも知れなかったが、しかし誘惑に負けて奥へ奥へと進んで行った。
Lincoln's Inn Fieldsはその昔決闘が行なわれていた舞台だったという。今は単なる芝生とテニスコートにしか見えないが、ここの土は夥しい血を吸い込んできたのだろう。ある者は勝利に酔い敵の血で乾杯し、ある者は敗れて地にまみれ自らの血を浴びながら死んでいった。どうも自分にはこういう「死」のイメージを感じ取れる場所を好む傾向がある。そしてLondonはそういう場所に満ちている。だからこそ自分はLondonが好きなのかも知れない。
邦訳すれば王立裁判所。通称をLaw Courtsという。10:00〜16:00まで無料で内部見学できるのだが、こんな遅い時間では無理。というか周囲には人っ子一人いない。
Royal Courts of Justice (Law Courts)
Lincoln's Inn Fieldsからほど近く、ちょっと歩くと壮大なゴシック建築が目に入る。何故ここに来たかったかというと、世界の中で議会政治や法治国家の礎えを築いたのは紛れもなく英国であり、その政治上の象徴をBig Benとするなら、やはりもう一方の法律上の象徴であるLaw Courtsも是非見ておきたかったのである。
夕闇に浮かぶLaw Courtsはゴシック様式の尖塔を高々と天に突き上げる一方で、城塞のように堅固で堂々とした一面も持っており、まさに法の番人と呼ぶにふさわしい。
これはLaw Courtsの正門前にある記念塔。頂上にGriffin像がWestminsterの方をにらんで載せられており、両側面にはQueen VictoriaとEdwardZ世のレリーフが施されている。12世紀からここには遮断棒があり、Cityとの境界を示していた。現在でもこの塔がその役割を果たしている。
Temple Bar Memorial
印象的なのはやはり塔上のGriffin像。まるで全ての外敵からCityを守護する、と忠誠を誓っているかのようだ。そしてWestminsterを向いているというのがまた詩的ではないか。譬え王家といえども、あらゆる権威にCityは屈服しないとの叫びが聞こえる。この記念塔はさながらCityの自由と独立の象徴でもあろう。
さて、いい加減帰らないとマズイ。バスは時間がかかるので早く帰れる鉄道に決めた。Law Courtsの周囲に地下鉄の駅は幾つかあるが、King's Cross駅までPiccadilly線一本で行けるHolborn駅を選んだ。初地下鉄だ。
Underground (Tube)
英国の地下鉄には案内が少ないと聞いていたので途中の表示に注意しながら進むが、Northbound・Southboundと大書してあるので迷いようがない(笑) ホームは空調があまり効いてないせいか暑い。日本から持参したうちわで煽いでいたら、英国人女性が物珍しそうに見ていた。それともそれはダイエーホークスのうちわだったせいだろうか(爆)
Tubeとは地下鉄の愛称で、丸いトンネルを丸い電車が走る事から名付けられたという。ホームに滑り込んできた車両を見ると、確かに上半分が半円形になっていて可愛らしいが、その分乗車スペースが狭くなっており窮屈。慣れればどうって事ないんだろうけど。
国鉄King's Cross駅到着(この駅にはこれ以降何度も何度もお世話になる)。Cambridge行きの片道乗車券(Day Single)を買いホームに向かう。日本と違って改札や柵はなく、ホームとコンコースが一体化している。
King's Cross Station
前日にQ大のS助教授が「英国の列車は途中で分離する事があるから気を付けろ」などとおどかすので気になってしょうがない。なるべく前の方の車両に乗る事にした。欧米の列車には停車駅アナウンスがないと聞いていたのでそれも心配だったが、実際は停車「直前」に1回だけアナウンスがあった。ただ聴き取りにくいので耳を澄ましていなければならない。他の自衛策として、駅に着く度にホームの駅名表示板に目を凝らすというのがある。しかしこれではおちおち寝ていられない。
車中、今日見た光景を順々に思い浮かべる。ずっと憧れだった都市Londonを今日この足で歩いていたとは信じられない。様々な場所を訪れたし、初2階建てバス・初地下鉄・初国鉄も経験した。夢見心地の気分だ。
Pembroke College着。我が家に帰って来たかのような安心感がある。ベッドに身を投げ出すと急に疲労感が襲って来たが、それも快い疲労感だ。明日も早目の便で行こう。
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とっぷぺえじ